2018年3月31日土曜日

北越急行 運賃値上げ

2014年8月14日  北越急行の681系で運転していた「はくたか」

2015年の北陸新幹線開業後は「はくたか」を失い本来的なローカル鉄道となってしまった。積み立てた資金だけでは不安もあり現実には赤字転落となっている。
生き残っていくためには止む得ないのかもしれない・・・・

トワイライトエクスプレスの遺産

2017年3月31日の新潟日報に糸魚川市がJR西日本よりトワイライトエクスプレスの車内調度品の譲渡を受けていたことが30日分かった。

糸魚川市は2016年12月22日の大火で中心部に甚大な被害を受けて現在復興途上にある。
2020年春頃糸魚川駅周辺にて一般公開を目指している。

最近老舗の酒造メーカー加賀の井 酒造が製造を再開したので楽しみにしているがさらにトワイライトの調度品を見学できるとなると楽しみがさらに膨らむ・・・・

写真は2014年撮影の8002レ 大阪行きのトワイライトエクスプレス

荒川体育館のD51 735 補遺

2017年7月8日 荒川体育館にて 通常はこのような状態でD51735が保管(保存)
あらかわのヘッドマークを付けていた。
ガラスの反射でなかなか姿をとらえることは難しい。
D51735のプレート  坂町機関区の区名標も。

厳重保管もそれなりに意義がある(盗難防止など) だれも見向きもされなくなってボロボロになり撤去された保存機関車も少なくない。
本機は幸せと言えるかもしれないが春のひな街道と文化の日のみに触れ合えるだけだと少し寂しい気もする。

2018年3月28日水曜日

荒川体育館 D51 735 一般公開

2016年3月25日 村上市の荒川体育館 ふだんは締め切られた庫の中に保存されている、坂町機関区配置だったD51735の公開がされるので見学した。
この機関車はふだんはまったく見ることもできない代物なので疲れた体に鞭を入れて坂町のこの場所にやってきたのである。
D51735は長工デフがポイントである。門鉄デフとはまた違った美しさがある。
この日運転台も公開されてかなりの数の見学者があった。案内のOBさんによると24日は160人ほどの来場があったという。保存機関車にしては上々といえる。
経歴と保存にかかった費用を記したボード。坂町駅から米坂線の線路を使って仮設線路を敷いてこの場所に運び込んだという。
当初は年中公開していたが盗難事件が発生したため通常は閉鎖しておくことになった。
(以上 OBさんの談)

**ご案内されていたOBさん 電気機関士さんだったようで羽越本線のEF81の乗務をされていた。
長工デフ
プレート
キャブで開設に当たる坂町機関区OBさん
現役時代のこと、機関車の機器の説明、運転時刻表の味方の説明など講話されていた。

ふだんは秘仏状態の保存機関車を見学できてよかった。
このあと村上からの編成の回送を撮影し機関車の転車台に向かった。

3月31日の新潟日報によるとこの保存機関車の見学に訪れた人は2日間で400人だったそうだ。




2018年3月27日火曜日

EF81 140〔長岡〕牽引 村上~坂町回送

2018年3月25日 坂町駅近く EF81140牽引の回送列車。 最後尾のC57180は旧坂町期機関区跡地の転車台で方向転換。EF81は村上側に付け替えられて回送の任務に就く。
EF81も動く姿をとらえるのは難しくなってきた。

2018年3月26日月曜日

C57 180「SL村上ひな街道」モノクローム

2018年3月25日 新津駅 引き上げ線から5番ホームに。
羽越本線 加治~金塚にて 国道7号線駐車場より 気温も上がってうららかな走行風景。近くには親子連れの方々が多数。
坂町駅にて  村上駅到着後EF81140〔長岡〕の牽引で編成丸ごとやってきてC57180は方向を転換する。かつて機関区があった構内も今ではターンテーブルだけが残るのみ。給水塔も近くにあるが単なる遺構のようで消火栓から水をホースで引き込んで給水をする。
このターンテーブルの光景も人気が高く大勢の観覧者で賑わっていた。

坂町駅の転車台 回転は手動。
機関区の建物はすべて解体されて現存しないが給水塔がまだ残っていた。



2018年3月25日日曜日

SL村上ひな街道 C57180

2018年3月25日 羽越本線阿賀野川鉄橋 C57180牽引のSL村上ひな街道が煙を上げて走る。
坂町を発車して村上に向かう。ハマナス色E653系とすれ違う。
 白煙を上げて走る。 坂町の荒川鉄橋付近。

2018年3月18日日曜日

EF200の運用が見当たらない・・・・

2008年8月15日 吹田にて EF200-9 
2018年3月17日ダイヤ改正で運用が無くなったらしい(実際には代走で走っているようだが)
ここ数年間は東海道の沿線には出ていないが事実だとしたら寂しい話である。


冷房のない急行型 モハ152-13〔大垣〕~1981年5月4日大阪駅

1981年5月4日 大阪駅 153系モハ152-131 大垣電車区所属。さらに後ろにはクハ155も写っている。急行「比叡」名古屋行き。
モハ152-131は1961年1月23日川崎車輛で製造され大垣電車区に配置そのまま1982年2月19日に廃車になるまで冷房は取り付けられなかった。

この列車は先頭がクハ165だったので油断していたら非冷房車が連なる編成だったので驚いて慌てて撮影したものである。

2018年3月17日土曜日

信越本線夕方の貨物列車

 2018年3月17日 EF510-509 3098レ
 EF510-12と無動の18の編成は3097レ
EH200-901は6082レ  本日は機関車のみ

時刻は大きな変更はなかった。

2018年3月17日ダイヤ改正~弥彦線115系6連

 2018年3月17日 弥彦線吉田行き226M 115系6連で吉田よりN38編成とN36の編成
115系N36編成。 しばらくの猶予か?本日は115系6連だった。
来月の14日の新潟駅の高架駅一部使用開始まで115系非ATS-P(旧長野)の活躍が見られるのか?信越線では午前と夕方の快速1往復だけとなってしまった。

2018年3月16日金曜日

懐かしの70系新潟色~越後線吉田駅

 2018年3月16日 ダイヤ改正前日 吉田駅での115系N3+N18編成
227Mは東三条には現れずE127系が代走していた。ダイヤ改正前日の変則運用か? それとも故障だったのか?
 柏崎から129Mで来た115系N40編成とのならび。吉田駅を8時39分発の134Mで柏崎に向かう。
 小雨降る中最後の並びとなるのか?
最後に来ていい光景が見られたことに感謝である。この後出勤。

2018年3月5日月曜日

キハ40560とキハ48523

2018年3月3日 新津 入れ替え中のキハ40560とキハ48523
GV-E400とキハ110 それにキハ48523 各年代の気動車。

ENR-1000 除雪機

2018年3月3日 村上駅で展示されていた除雪機ENR-1000 大型の車体であるが車両ではなく機械という扱い。したがって線路を閉鎖しないと走ることができない。
DD14やDE15などの置き換え用である。

通常はあまり人目に触れる場所にはおかれていないので駅のホームにいる光景は貴重と言えよう。

2018年3月4日日曜日

115系新井快速3374M

2018年3月3日 新津 新潟17時2分発新井快速3374M  115系N40編成
車内はほぼ原形であり115系全盛期を思い出しながら快速列車を楽しんだ。
乗車は最後部のクモハ115に乗車。帰宅時間帯で混んでいたが座ることができた。
MT54のモーターの音が車内に響きわたっていた。
東三条駅にて いったんは姿を消した原型座席を再び見るとは思わなかった。
国鉄時代に記憶を残す車輛。

終幕が近づいた新潟駅地平ホーム

2018年3月3日 新潟駅 E129系が並んで発車待ち。4月16日より新潟駅高架部分が一部使用開始となるため1番~4番の乗り場が使用廃止となる。(8番と9番は高架の1番線ができるまで残る)
長年親しんだこの光景も見られなくなる。

E653系 3色並び~村上駅

2018年3月3日 村上駅 特急「いなほ」号E653系大集合 というイベントが行われ3色の「いなほ」編成が並んだ。左「ハマナス」色、中「瑠璃色」右「通常のいなほ色」
ちょうど「町屋の人形様巡り」がスタートした週末ということも会って大勢の人でにぎわっていた。


新潟より先頭のグリーン車 クロ E653の車内も公開された。

町屋の人形様巡りとタイアップして3種類の「いなほカード」を集めるイベントも行われていたので参加してみた。カードは表がE653系写真で裏面は運転時刻表となっていた。



2018年3月3日土曜日

付喪神(つくもがみ)~旧長野電鉄屋代線廃線跡にて

2017年8月13日 15時30分 旧長野電鉄屋代線 信濃川田駅跡

 表題の付喪神とは長い年月を経た道具などに神や精霊が宿ったもので人をたぶらかすとされている。最近読んだ「21世紀の民俗学」という書籍にこの記載を見つけた。これはいまはやりの自撮り棒のことについての考察である。自撮り棒もいずれ使われなくなって付喪神となって暴れる姿を想像する記述を見つけた。

この日の経路はお役御免の車両たちを訪ねる旅だった。長野県はこれらの宝庫のようで多数遭遇していたが信濃川田の車両たちは生かさず殺さずの状態であり日中であっても気味の悪い場所に成り果ててしまっていた。 雑草が高く生い茂りぼろぼろの塗装の電車が留置周りはなにもない・・・・24時間霊の出放題といった印象。とくに迷信を信じなくてもあまり気分のいい場所ではなかった・・・
この後体が重くなり(暑さと疲れだと思うが)残りの「取材」を続けた・・・

ここの車両たちも小布施の2000系と同じく美しく塗装され歴史をしのばせる駅跡に再生することを望む(本来はそういった趣旨でここに展示されるため置かれていると思うのであるが)