2017年6月30日金曜日

赤谷線廃線跡で見かけた車掌車

2017年6月3日 旧国鉄赤谷線赤谷駅近くにて  「赤谷の駅」という国鉄貨車を用いた建物が。
貴重な車掌車である。1985年3月14日のダイヤ改正で使用されなくなり一般に売却されたものがこうして使用されている。 
場所は新発田~赤谷~三川を結ぶ県道沿い。 この車掌車よりしばらく行くと本当の赤谷駅の跡地に出る。

2017年6月29日木曜日

五泉市粟島公園のモハ41

2017年6月10日 五泉市粟島公園にて  蒲原鉄道のモハ41
木製の床に扇風機、化粧板の色・・・・ 1999年10月の廃止後五泉市にやってきた。


廃止後18年が経過かなり劣化してしまっているのが残念。

2017年6月28日水曜日

十日町駅の庫~飯山線

2017年6月24日   JR東日本十日町駅の越後川口寄りにある気動車の車庫にて。キハ110系の並び。右手はキハ52などで用いられていた旧飯山線色で1987年11月ごろ登場している。1997年の110系(旧秋田リレー)転入でこの色のキハ52は新津に転属。のちに一部が国鉄色に塗り戻されて米坂線では人気を博した。

十日町を最初に訪れたのは1979年2月。新潟発十日町行きの臨時快速「十日町雪まつり」号で往復した。キハ58など急行型編成6連で土曜は新潟を午後に出て十日町は夕方着そして返しは夜間であった。一方日曜発は新潟午前で昼前に十日町着。午後十日町発で夕方新潟に着くダイヤ。
結構混雑していた記憶がある。

十日町では腕木信号機を眺め、ここの車庫を撮影している。またキニ56荷物車に遭遇。キハ58系がすべて冷房車であることを羨んだ。十日町は国鉄長野鉄道管理局管轄で豪雪地帯しかし、新潟側はよその管理局、長野側は他県の路線ということで相当な仕打ちを受けていた。

ここでは国鉄千手発電所の専用線が残っているという情報を得たのでそれを見に来た。いちおう線路は見つけたが大半は雪の下であった。

他は未成線と思われた北越北線の高架線をながめ雪まつりを見学して十日町のそばを食べた。

キハ58に長時間揺られていると相当な遠くに来た気分になった・・・・

2017年6月27日火曜日

越後交通長岡線 寺泊新道~寺泊駅跡

2017年6月18日  越後交通長岡線 寺泊新道付近  バス停である。
駅舎は左側にあった。かつてはここからさらに寺泊の街方面に線路が伸びていたが1966年水害のために廃止されている。


今も残る廃線の橋梁  寺泊新道から寺泊へ行く途中のものであろう。
寺泊海水浴場という駅がスイッチバックで存在してそこで折り返して旧寺泊駅に向かった。
これ以外の痕跡は見つけることでできなかった。

飯山線 越後岩沢駅

2017年6月24日 飯山線 越後岩沢駅 いまでは貴重な国鉄時代からの木造駅舎。
すでに無人駅であり、交換設備も使われていない。





越後岩沢駅の駅名標。これは出口側にある。 駅ホームのものはJR東日本仕様である。
駅前から改札口方向を 
越後川口からの列車が到着  旧飯山線色を復刻したキハ110-233

今は貴重な木造駅舎とともに




2017年6月25日日曜日

C1146 魚沼市上ノ原児童公園

2017年6月24日 魚沼市の上ノ原児童公園  井ノ口地区にある。
只見線撮影後国道252号で 井ノ口地区に移動したがあちこちぐるぐる回って
たどり着く。国道17号線から西側も井ノ口地区があったようだ。
このC1146は只見線が最後の活躍の舞台だった。

保存状態は極めて悪くヘッドライト欠損やプレートの盗難など

廃線が済んだら廃線だぜ~越後交通長岡線寺泊~大河津界隈

2017年6月18日 くびき野レールパークから帰る道中国道352号~402号線で寺泊へ。ここから越後交通長岡線の廃線の跡を少したどってみた。 寺泊新道付近から廃線跡の道路を経由。道幅が狭い箇所が多い。
越後線の寺泊駅(かつて大河津)との合流点で越後交通長岡線の大河津~寺泊間が昭和48年(1973)年4月16日に廃止になるまで越後線との平面交差区間があり25mを共用していた。(越後線が国有化以前から)越後交通は国鉄に通行料を払い、 国鉄のダイヤ改正ごとに越後交通の長岡線もダイヤを修正していた。
架線柱は廃止後すでに40年は経過しているがまだ残っていて驚いた。右手の道路は越後線の踏切りに向かう。架線柱の下は線路は撤去されていた。
 越後線の寺泊駅の裏手で越後交通長岡線の大河津駅跡地。整地中。線路や信号機の残骸がある。
 越後交通長岡線の大河津駅のホーム跡。昨年くらいまで雑木が生い茂っていたのでホームを見ることはできなかった。
 越後線の寺泊駅本屋をのぞむ。
 整地作業が始まったということは跡地を活用するということであろうか?あるいは売却か?
 JR越後線の寺泊駅から国道116号線を通過して与板方面に移動した付近。
こちらの廃止は昭和50年(1975年)4月1日。廃止の時点でも年間100万人程度の旅客輸送はあったと言われている。
廃止区間は大河津~西長岡の旅客輸送と越後関原~西長岡の貨物輸送。

見事に線路が残っていた。踏切の跡である。道床は線路が外されて枕木が少々。



平成の初めころまでは越後線寺泊の駅構内から越後交通長岡線の廃線がよく見え、国道116号も立体交差区間があり、このあたりも線路そのものがしっかり残っていて架線柱も存在していた。


いまは線路の撤去も進んで道床だけになり一部はそれもなくなっているといわれている。
越後交通長岡線の廃線の撤去が進まなかったことについてもいくつか説があるとされている。
通説は撤去費用が関係しているといわれているが1975年頃はオイルショックの時代でもあり要請があれば復活できる体制を温存しておくともされていた。

それからさらに30年以上経過していよいよそんな話も伝説になってしまった。鉄道を駆逐した自動車の方も進歩して今後は石油燃料に必ずしもよらないものも出てくると思われるし、沿線人口は急速に過疎化が進行。

そのため温存してきた線路も劣化が急激でありもはや必要ないものとなってしまったのであろう。


参考文献:新消えた轍 ローカル私鉄廃線跡探訪 上信越5 越後交通長岡線P65~ ネコパブリッシング2011年2月28日 寺田裕一著

ほくほく線 信濃川橋梁

2017年6月24日 信濃川を渡る直江津方面普通列車。 近づきにくい場所だった。

キハ40系越乃Shu*Kura~飯山線

2017年6月24日 飯山線にて キハ40系4連 越乃Shu*Kura が終点十日町を目指す。
ただし災害の為長野方面「おいこっと」は運休であった。

列車は昼食時間帯でありほろ酔いの方々も多いのでは・・・




復刻版飯山線色のキハ110-233 長ナノ 越後川口行き

1997年のダイヤ改正前までキハ52などで用いられていた塗装が復活したものである。


2017年6月24日土曜日

鉄道ピクトリアルの特集は上越線電化70周年

2017年6月24日 EH200-1牽引 単回  現在の上越線の貨物輸送の主力機。
高崎機関区に25両が配置されて上越線、首都圏、中央線で運用されている。

表紙はEH200-8の貨物列車が新清水トンネルを出た場面。現在日中の貨物列車が無いので夕方の貨物列車2071レだと思う。

戦後から現代までの上越線電化70年、上越線の歴史を振り返る、上越線の思い出、上越線の線路をたどる、上越線電気機関車常務の回想など。

今回の号はなぜか見つけるのに苦労した。書店を4軒回ってようやく・・・・・
当地115系の運用が掲載されているのが一因のようだ。

只見線 キハ481533ほか

2017年6月24日 只見線上条~越後須原  只見に向かうキハ48の2連
2両目は縁結び列車だった。



2017年6月23日金曜日

記憶が・・・・・・

2017年6月18日 くびき野レールパーク   お宝残す会の方々に頸城鉄道の百間町駅舎がいつまで残っていたか尋ねてみた。古老の先生各位におうかがいしたが明確な答えが得られなかった・・・・
鉄道そのものの廃止年月はご記憶されておられるのであるが・・・・

廃止から45年以上が経過して記憶が重なり合ってあいまいな部分が出てきたのかもしれない。
そもそも筆者自身が1981年に見た駅舎が明治村なのか百間町なのかもわからなくなってきた。
他の方々にとってはどうでもいいことであろうかと思われるがこの鉄道との接点が廃駅舎と廃車体それの身に限られる身にあっては・・・・

ホハ3の方は近隣の大瀁小学校の方で保存がされていたが木造の車体ゆえに劣化が激しく撤去されたとの事だった。これもお宝残す会の古老の方のお話ではある。
この保存車両の中に入って遊んだという方もおられた・・・・


さてこの日の作業工程は・・・
鯨波で信越本線そのあと浦川原へそして県道沿いに廃線をたどって百間町に。そのあと寺泊付近の越後交通長岡線の廃線跡を・・・廃線が住んだら廃線だぜのスケジュール

2017年6月21日水曜日

浦川原にて~頸城鉄道の記憶

6月18日 東頚バス浦川原バスターミナル。 かつての頸城鉄道の浦川原の駅。
国道253号に面している。 東頚城の各地へバスを運行する拠点。
かつて線路があった場所は北越急行ほくほく線の高架下。
バスの待合室。どこか鉄道の匂いを感じる。 かつての改札口から待合室、切符を買う窓口、そして入り口を見る。 この写真の右手には豪雪地帯を走るバスの写真が飾られていた。



青海川~笠島間を走る「しらゆき」1号

2017年6月18日 信越本線  特急「しらゆき」1号新潟行き。
せっかくの景勝地も曇天であった。

2017年6月20日火曜日

気軽な長距離列車

JR西日本旅客鉄道が進めているトワイライトエクスプレス瑞風とは異なったコンセプトの長距離列車の計画が!種車は117系、お値段もかなり格安らしい・・・・2020年に運転開始。
個室や食事スペースもあるようだ。 
2012年1月1日 湖西線にて 117系

EF510-501

2017年6月18日 EF510-501牽引の3097レ
EF510-16 牽引の3098レ 札幌と福岡を結ぶ
EH200-24  6082レ 日曜だが最近は運転をしている。 北越紀州製紙の隅田川行きコンテナ。
こんどは焼島付近で見てみたい。

日曜夕方の貨物3連。


2017年6月19日月曜日

アジサイと頸城鉄道保存車

2017年6月18日 上越市頸城区百間町の「くびき野レールパーク」 DC92機関車とアジサイの花

2017年6月18日日曜日

EH200-1 鯨波にて

6月18日 鯨波を通過するEH200-1牽引の80レ 南長岡と黒井の区間を走る貨物列車。
牽引はEH200である。山岳用機関車の運用である。

この日石川県の高校生たちが多数通って行った。ハンドボール部の方々らしい。
元気な挨拶がよかった。

銀色の戦士~EF510-509

6月17日  EF510-509牽引の3098レ 札幌貨物ターミナルと福岡貨物ターミナルを結ぶ。
久しぶりに見かけた銀色のEF510.

2017年6月14日水曜日

ヘンリーフォンダと蒲原鉄道モハ1

2017年6月10日 加茂市冬鳥越スキーガーデン 元蒲原鉄道のモハ1とバラ
黄色のバラはヘンリーフォンダ・・・名画「荒野の決闘」などで知られる俳優!セルジオレオーネ監督の「ウエスタン」やトニノバレリー監督の「ミスターノーボディ」もよかった。「ウエスタン」と「ミスターノーボディ」は鉄道の場面も印象的である。

2017年6月13日火曜日

まだ線路が残る新発田駅近くのセメント専用線

2017年6月3日 JR東日本新発田駅付近 デンカセメント専用線の跡。 セメントの荷役はトラックが行っているが2008年に廃止されるまでは貨車が乗り入れていた。いまもごくわずかに線路が残っている。

2017年6月12日月曜日

キハ52  156~糸魚川ジオパル

5月5日 くびきのお宝残す会の百間町の会場を後にして直江津付近で雪月花などを見て一路糸魚川へ。2009年以来であった。 国道8号も直江津方面は混雑していたが富山方面は順調であり50分程度で糸魚川に。お目当てのキハ52を眺めることができた。サボ付きの状態が風情があるかもしれない。到着が16時を回っていたためきれいな状態で撮影はできなかった。
車内は通路ということもあって撮影できた。なんとこの車両を通らないとジオパルに行くことができないようである。ジオパルでは鉄道模型が走り回り楽しんでいる方々も多かった。
大糸線のこれらキハ52も追っけるということは一切しなかったためあまりなじみはない。

シュプール号時代が終焉すると大糸線に出向くこともしなくなったためである。
キハ181系国鉄色の消滅とともに見限ってしまったからである。

北陸新幹線開業後トキめき鉄道日本海ひすいラインに北陸本線は以降きわめて寂しい姿になってしまった・・・・・ただ北陸新幹線開業でそれなりの効果はありそうであるが。
昨年不幸な事態が糸魚川を襲った・・・・・こちらも復興に向けて動きはじめている。

駅の構内あちこちにこの国鉄色キハ52があった。もしかしたら糸魚川を救うのは国鉄色キハ52かもしれない・・・・・

2017年6月11日日曜日

雨にたたずむ~EH200-11

2017年4月6日 黒井 待機するEH200-11に乗務員が向かう。 乗務員の手には傘が・・・小雨が降りだしてきた。このEH200は朝の80レで南長岡からやってきて夕方の85レで南長岡に戻る。
EH200の主たる運用は新潟貨物ターミナルと隅田川など首都圏への運用である。 

直流機関車であるEH200が2015年ダイヤ改正で信越本線黒井まで定期運用を持つようになった。
2009年のダイヤ改正でEF64牽引貨物列車の定期運用が無くなり長らく途絶えていた。(以降は時折EH200が代走あり)EF64も南長岡~黒井間80レ~85レの1往復だった。


国鉄時代は信越本線山岳区間用EF62も1986年11月ダイヤ改正まで走っていたし1979年秋のダイヤ改正までは長岡運転所EF15(一部EF16も)とEF58も入っていた。1979年に老朽機関車置き換えの為EF81137~152がつくられ一気にEF15を置き換えていった。1980年には南長岡~直江津間の貨物列車はEF81が中心でEF62が数往復入る方式となって国鉄分割民営化を迎える。1986年11月ダイヤ改正からEF62に代わってEF641000番代が入りそれが2009年のダイヤ改正まで続いた。

C57180 SL青い12系客車

2016年6月12日 新津で連結作業中の「SL青い12系客車」 国鉄時代蒸気機関車末期や特別運転時のものを思い出させる編成。国鉄色12系客車はJR東日本では高崎車両センターだけになってしまった。

12系客車が多客波動用の使命をもって登場したのが1970年代。それまでの旧型客車より座席間隔が広く冷房があり空気ばね台車で乗り心地がよく、夜行列車では定期列車をしのぐサービスがなされていた。時刻表の臨時列車のページをにぎわせていた急行**51号や52号の類は12系の独断場だった。
のちには旧型客車で走る列車を置き換えて定期列車に進出、また団体列車でも走り抜けた。
上越線夜行臨時列車に乗車したことがあったが定期列車の165系電車より快適であった。座席の間隔が広いのが理由であろう。