2017年5月29日月曜日

夢空間TAP山陰~出雲市発上野行き

1992年4月6日 EF651024〔田端〕牽引 24系寝台車の夢空間TAP山陰路号 9032レ
上越線越後滝谷付近  この列車は出雲市~上野の運転であった。 正規の寝台特急「出雲」は東京~出雲市間を東海道本線、山陰本線で運用していたがこの臨時寝台特急「夢空間TAP山陰路」は北の玄関口の上野を終着とした。経路も出雲市から綾部まで山陰本線、そこから舞鶴線、小浜線を射経由して敦賀から北陸本線そして長岡から上越線を経由上野を目指す運用。4月4日運転の下り列車も同様のルートで日中の上越線や日本海沿岸の風景を楽しめる時間帯の運用だった。
近隣は北陸本線・信越本線はEF81149〔長岡〕が牽引。機関車にはこれといったマークなどもなく単なる寝台列車という印象だったが寝台特急がすべてなくなった今貴重なものとなっている。

北周りで東京~関西方面はすでに1988年に多数運転された「オリエント急行」で先例ができていた。
オリエント急行を楽しむため長時間停車と迂回運用という手段がされたものと考えられる。
この列車も上野~長岡~敦賀~大阪~山陽地方各地という運用が多かった。

お値段も10~20万円台が主流だったようであるが人気がすごく競争率もかなりだったようだった。
このオリエント急行のノウハウはトワイライトエクスプレスやこの夢空間そしてカシオペアなどに引き継がれていく。

2017年5月28日日曜日

719系 フルーティア

5月6日 磐越西線 広田を通過する719系6連 719系もあっという間に減少している。
この会津若松行きの快速列車3233Mはフルーティアが連結されていた。

2017年5月23日火曜日

快晴115系N3

5月7日 吉田駅で待機する115系6連 新潟寄りには115系N3(70系新潟色)が。この日朝の227M~226Mの弥彦線6連運用をこなして越後線に戻ったところであった。

2017年5月21日日曜日

EF65 524 高崎機関区

1999年5月  高崎機関区にて  台車検査中のEF65524  見学会の際の撮影。

2017年5月18日木曜日

頸城鉄道 新黒井駅跡 石碑

5月5日 くびきのお宝残す会の会場百間町を後にして新黒井を目指す。この区間は水田を一気に突っ切って信越本線の黒井の手前に入っていたようだ。途中「北四ツ屋」という停留場があった。
はさ木が立ち並ぶ水田地帯を走り抜ける列車で知られている。

いまは舗装道路と並木道で途中工業団地もあり頸城鉄道の時代とは異になっている。
見つけるのに苦労したという噂の有る石碑はあっさり見つかった。
最近黒井の駅が橋上駅になりその際整備されているようだ。
ちょうど踏切りが鳴ったので線路側に出てみると北越急行HK100型が通過していった。
高速で駆け抜ける姿は社名の「北越急行」にふさわしい。
頸城鉄道では果たせなかった「夢」を引き継いだ北越急行であろう。
ただ特急「はくたか」を失ったことそして沿線は過疎化が進行している、さらに道路の改良で利用者が減少しているなど厳しい状況である。

この近くに橋げたがあったらしいが2013年(平成25年)に撤去されているとの事。

2017年5月17日水曜日

頸城鉄道 百間町駅跡

5月5日 上越市頸城区百間町 左手に頸城鉄道車両基地跡 右手は給油所
1981年昭和56年7月26日 長野県に向かう途中この付近を通っている。
柿崎から新井に抜ける道が工事をして迂回する案内がありそれに従って走ると鉄道の駅舎が見えた。
おそらくそれが百間町の駅舎だったようだ。 急いでいたので撮影などはしないですぐに走り抜けた。
頸城鉄道発祥の地 百間町駅跡の石碑 後ろ建物はかつての本社だったようだ。いまは資料館として特定の日に公開される。
シェル石油の給油所  奥にJAの建物がある。その手前に道があるそこを通っていたのかもしれない。
撮影した場所が百間町の駅である。
頸城バスのバス停 百間町南 ここが頚城村の中心部だったのかもしれない。
高田の行先を出したまま待機する頸城バス


1971年の全線廃止後主流となったバスも現在は利用者の減少で苦境に立たされている。
道路の整備は公共交通のさらなる衰退を招いてしまったようだ・・・・




2017年5月16日火曜日

新緑キハ48

5月6日 磐越西線荻野付近 会津若松行きキハ48の2連  小牛田より転入してきたキハ48である。 冷房ありで2連ユニット運用。先頭はキハ481545(新ニツ) やがて新型に置き換えられて姿を消すであろう国鉄型の気動車。

2017年5月15日月曜日

超快速スノーラビット

5月5日 ほくほく線くびき~犀潟間 越後湯沢からの超快速「スノーラビット」がえちごトキめき鉄道はねうまラインの新井を目指す。この列車は上越新幹線の越後湯沢で接続し直江津であれば北陸新幹線より早くさらに運賃も1000円くらい安くなる。午前は2本が直江津方面に午後は1本が越後湯沢へ運転。車種は特に指定されないが休日は「ゆめぞら」号が使われることが多い。
最高速度は110Km/hであるためはくたか時代ほど早く感じないが越後湯沢と直江津の区間が1時間とくればかなりの俊足であろう。

ET127系鯨波

5月5日 鯨波を行く柏崎6時58分発直江津行き ET127系6連でうち4両はラッピング列車だった。この列車は直江津から新井方面に直通する。

2017年5月14日日曜日

頸城鉄道の呪縛

5月5日 上越市頸城区の「くびき野レールパーク」にて。頸城鉄道のホジ3型気動車。
この日は月1回の公開日でようやく念願かなって訪れることができた。
NPO法人の「くびきのお宝のこす会」が運営主体である。
ホジ3の内部。木目が美しい。この車両たちは1971年の頸城鉄道の廃止後神戸市の篤志家に引き取られ六甲山にて保管されていたが2004年にくびきの地に里帰りして保存活動が開始されたのである。
荷物郵便車のニフ1 復元車輛である。
ニフ1車内。机といすと児童向け図書の棚が置いてあった。
こども図書館という張り紙があった。
机といすの有る車内のレイアウトがなんとなく車掌車のような雰囲気に。

貨車と単車のハ6  動態保存の相方である。ハ6は明治時代の1911年(明治44年)製造で魚沼鉄道で走ったこともある。同系が新潟市中央区の自然科学館に保存されている。
単車の為線路の感触がじかに伝わってきた。貨物列車の乗心地を楽しめる。
コッペル2蒸気機関車。 明治44年(1911年)ドイツのオレスタイン&コッペル社製造
DC92ディーゼル機関車と並ぶホジ3 DC92は1954年(昭和29年)日本車両製造社製


頸城鉄道の存在は1978年10月に新潟日報事業社より刊行された写真集「新形の鉄道百年」でしっていたが1971年(昭和46年)全線廃止であり特段関心を持つことがなかった鉄道である。筆者が住む新潟県下越からも遠いこともあってなじみの薄い存在であった。

1981年7月長野県に向かう道中国道8号線柿崎から新井市(現妙高市)に抜ける県道を走行中に工事で通行止めの箇所があり右手(つまり西側)の道を迂回することになった。その途中駅舎があった。木造である。当然頸城鉄道のものであることが明白だったが急いでいたのでそのまま・・・・
ただその駅舎がどこのものかはわからなかった。
それから10年以上たった平成3年に頸城鉄道の廃線の跡を信越本線列車撮影の合間を利用してたどっている。このころは原型を残していることで有名な浦川原以外に収穫はなかった。

展示してある写真の中に駅舎を扱ったものがあり候補が明治村か百間町に絞られたが1981年(昭和56年)当時右に回ったような記憶があるのでおそらく百間町を見たのかもしれない。そしてバスの拠点として残っていたならば間違いないかもしれない。 つぎの公開の時にでも当時をご存知の方がおられたらいつころまで駅舎が残っていたのか質問したいとおもう。
5月5日の時点では明治村も有力候補と考えていたのであるが・・・


もう1点が長野県須坂市の廃車になった自動車を置いてある場所で見た客車のようなものの正体である。これも1988年(昭和63年)、1989年(平成1年)、1990年(平成2年)とその近くを通過しているが所用の為(つまり鉄道撮影以外の目的)でそこを通過していた。交通量が多く道幅もそれほどなく駐車できなかったのでうやむやになり掛けたが1991年(平成3年)その正体が頸城鉄道ハ3という客車だった。頚城村の大瀁小学校(おおぶけ)に保存されたが事情があって(劣化で児童がけがをする恐れなどがある?)で須坂市の業者に引き取られたようだった。そちらでも引き取り手を探していたようだったがその後はわからない・・・・・

筆者はてっきり保存されていた小学校が統廃合でなくなり車両も保存できなくなったためとおもっていたが・・・なんと「大瀁小学校」はしっかり存在していた。 もっとももともとの保存先は違うところにあり統合された後現行の名称を用いていることも考えられるが・・・・・
このあたりもうすこし突っ込むべきか・・・・・

この日は二軸客車ハ6とホジ3の乗り心地を存分に楽しんで、黒井(ここで石碑を)、直江津(リゾート列車雪月花の撮影)、糸魚川(ジオポケットに保存のキハ52と大糸線キハ120撮影)をおこなった。
一旦帰宅して会津若松にここで新たに仲間に加わったE721系や非電化区間でばんえつ物語撮影などをして後半は新潟市秋葉区の図書館で調べもの(新潟鉄道管理局三十年史など)をした。
ハードだが原点に立ち返ったゴールデンウイークだった。最終日は葬儀のため午前のみ弥彦線70系新潟色の115系撮影。






2017年5月13日土曜日

新緑釜の脇橋梁を渡るキハ110

5月6日 阿賀川の釜の脇橋梁を渡る野沢行きキハ110系3連。 かつては激流だったこの付近もダムがある関係で流れは穏やかである。建設当初は急峻な地形と激流に悩まされたとされる。
大正時代の橋を平成の列車が走るが違和感はない。

2017年5月11日木曜日

一ノ戸川橋梁

5月6日 ばんえつ物語が一ノ戸川橋梁を渡る。 背後には新緑の丘陵地が。

2017年5月10日水曜日

会津若松を発車するビューコースター風っこ

5月6日 会津若松  風っこが只見線へ向けて発車していった。 駅ホームではJR関係者の見送りもあった。

2017年5月9日火曜日

磐越西線E721系

5月6日 会津若松~広田  本年3月のダイヤ改正で719系からE721系に主力を引き継いだ。
このダイヤ改正ではワンマン運転も開始している。 719系はフルーティアに関連する運用のみ残存している。

2017年5月8日月曜日

大糸線~キハ120

5月5日 大糸線頸城大野にて。南小谷に向かうキハ120の2連。かつての貨物ホームから。
駅の裏手は水田地帯で田植真っ盛り。列車の向かう先は残雪の山。

雪月花~直江津

5月5日  えちごトキめき鉄道のリゾート列車「雪月花」 赤い車体が青空に映える。

2017年5月7日日曜日

残雪の妙高を背に

5月5日 北越急行ほくほく線くびき付近 残雪の妙高山を背に越後湯沢発犀潟行き828MのHK100型が走る。付近の水田では田植真っ盛りでのどかな景色を背に走り抜ける。

115系湘南色 快速3371M

5月5日 鯨波を走る115系湘南色N40編成の直江津~長岡間快速3371M
海は凪で穏やかであった。 この界隈には10名ほどの撮影者が。
中にはアメリカ人撮影者も。 

2017年5月6日土曜日

薫風ばんえつ物語

5月4日 C57180 ばんえつ物語  煙はだいぶ薄くなっていた。 周辺の水田では田植えが進行中。
前面のスノープローはついたままであった。

2017年5月4日木曜日

トランスィート四季島

2017年5月4日 トランスィート四季島 羽越本線 青空の元羽越本線を走る。                
阿賀野川橋梁を渡る。 5月1日の運転開始で日光から東北地方を北上して北海道南部を駆け抜け、奥羽本線・羽越本線を経由して新津に到着。ここで乗客は列車を降りて県央地区に。新津は9時30分到着。
                 

東三条駅の様子。多くの人々が駅に詰め掛けている。この列車の関心の高さを物語る。                        
多くの人々の見送りを受けて列車は上野に向けて発車していった。 
あつまった人々は1000人以上と推定されるがまるで新線開業のような雰囲気であった。

2017年5月2日火曜日

現美新幹線~E3系

2017年4月23日 E3系現美新幹線「とき」451号 側面に描かれているのは長岡花火である。
走る現代美術館と言える。6両のうち11号車が座席指定それ以外自由席である。
車内の構造も列車内らしからぬ構造となっている。詳細はJR東日本新潟支社サイトを。

新幹線の車体色は明るい色合いが多いが本列車は黒系のためかなり異彩を放っていると思う。

2017年5月1日月曜日

115系N40湘南色と115系N33第2次新潟色

 4月30日 434M  いまや最後の湘南色と第2次新潟色の編成。 あれだけたくさんあった湘南色もほとんど廃車となりいまは2014年に長野から来たN40編成のみとなった。
447M こちらも長野から来た115系である。この塗装の生え抜きのものはすべて廃車となって姿を消している。

時間の経過の速さを感じる。