2015年10月25日日曜日

EH200-14+EH500-49 配8788レ

 本日運転の配8788レ 昨日東新潟にて一泊したEH500-49が大宮に向けて送り込まれるところ。
巨人機同士の連結は迫力がある。

このひEH200‐8+EH500-50が下っていく場面にも遭遇。同じ日に2本回送された。

大阪方面から埼玉だと東海道本線と武蔵野線経由が時間がかからないと思うがEH500の回送は日本海縦貫と上越線経由となっている。

越後線小島谷駅界隈~長岡市和島地域 

 越後線小島谷駅前  駅は小型カプセル風であるが駅前商店は風格のある建物。かつて賑わいがあったころを思わせる。近くには銀行などある。


 越後線の父 久須美秀三郎の像  越後線の前身越後鉄道は明治44年3月設立、大正2年に当時本社のあった新潟市の白山から柏崎まで全通。今の越後線が出来上がった。白山駅は現在の位置とは異なるが。(*信越本線の前身 北越鉄道開業にも尽力した)
 小島谷駅柏崎方向 手前の線路は保守用の機械がはいる場所と思われるがかつては貨車が入ってコメなどが運びだされた。貨物扱いは昭和46年(1971年)10月に廃止された。
 越後線は1984年4月8日電化。 細いH型鉄柱と直接吊架線がつかわれていかにも閑散路線を電化した風情だったが2007年の中越沖地震で倒れたものは太い架線柱に変わっている。
 旧久須美家である住運園。久須美秀三郎そして久須美東馬の生家で外観のみ公開
 住運園の解説が書かれた石碑。住運園は現在は長岡市の所有となっている。
 江戸時代(享保2年)に作られた庭園。  樹木の奥には弥彦山を望むことができる。
 小島谷駅付近の115系2連 吉田発柏崎行き 架線柱は太いコンクリート。

柏崎発東三条行き この列車は午後の弥彦線の運用に入る。貴重な初期型を含む編成で間もなく使命を終えると思われる。越後線の電化からの活躍で31年走り続けた。

2015年10月24日土曜日

EF510-507+EH500-49 3097レ

 115系L5編成445M 初期型115系もあと2編成に。新潟色編成はこの編成だけになった。
 キハ472連 臨時列車。 只見線からの帰りか?
 EF510-507牽引3097レ  EH500-49〔門〕が連結されていた。
関門海峡から越後に。いったん東新潟機関区に入った後大宮車両所に入場して
検査を受ける。

寒冷前線通過に伴う強風が吹き荒れこれをもって撮影を終了。
EH200牽引2084レは撮影をしなかったがコンテナがすべて乗っていた。

2015年10月21日水曜日

只見線 縁結び列車

10月3日 只見線で 冷房が取り付けられたキハ48型2連 ラッピング塗装はキハ48545である。
小牛田運輸区より転入した。いままでの冷房のないキハ48は休車になっている。
只見縁結びの表記がある。小出のこい+会津のあい ということである。
現在2011年7月に起きた大規模な災害で只見線は只見~会津川口間不通となっている。

2015年10月14日水曜日

EF81 141  旧型客車 回送

10月13日 秋田~高崎間運転 9840レ EF81141牽引 「レトロこまち」に用いられた旧型客車編成の回送 EF81141〔長岡〕の後部はオハニ3611で最後部スハフ32 2357(全て高崎車両センター)となっている。