2015年6月28日日曜日

115系 L6湘南色 ~越後線

6月28日 越後線南吉田駅付近  午後の柏崎発東三条行き。
湘南色ということで1984年の電化当時を思わせる。
L6編成は中間の電動車は初期型であり越後線電化の時に転入してきたものである。

2015年6月21日日曜日

485系3000番台 R22編成

先ごろ長野総合車両所に廃車回送された485系3000番台 R22編成の3月16日糸魚川快速での運用中の姿。

2015年6月14日日曜日

2015年6月7日日曜日

懐かしのトッテツ

 6月6日 見附市のネーブルみつけ多目的広場にて
越後交通栃尾線の廃止40年(1975年4月1日廃止)を記念して開催された展示会に行ってきました。筆者にとっては幻の鉄道である栃尾線に関する資料が多数展示され圧倒しました。
写真や部品など多数。そして往時の栃尾線を知るであろう年配の来客も多数。
ここでは印象に残った資料の一部を紹介します。

 合図灯 
 ジオラマ 電車の色はこんな色だった。
 車掌鞄と帽子それに犬釘
 車掌が使うはさみ。
 列車運転車掌報告  省令で作成が義務付けられている書類
 運転通告券
乗車券(切符)など
 転轍機
 社紋 
 腕章
 栃尾電鉄沿線鳥瞰図
入り口付近で上映の栃尾線に関する記録映画が上映。
印象に残ったのは戦前の雪の中を走る電化前のようす。
雪解けのころ線路が水浸しになっている中を走る蒸気機関車牽引による客車編成。


 写真やパンフレット各種書類を入れたファイルが多数。貴重なものが多く見入ってしまった。
栃尾線は戦後の石炭不足に関連して電化がなされた。762㎜の軌間ながら大動脈として活躍。
長岡市の 悠久山公園もリゾート地として親しまれた。とくに川で泳ぐしかない時代プールは都会的であり喜ばれた。
その一方で豪雪や水害に悩まされていた。昭和38年の豪雪の資料は自衛隊による線路復旧の様子が克明に記録されていた。
今も残る刈谷田川に係る栃尾線の鉄橋。自動車は通れない橋である。
また線路跡も多数目にすることができる。