2015年12月30日水曜日

只見線雪景色

2015年12月30日 越後須原付近 キハ47513とキハ481533(ともに新ニツ)の編成。本年春に小牛田に新型が入り転出したキハ40系冷房付きが只見線にも。外観も東北色から新潟色に変わった。
キハ48はデッキがあるものが主力となりそれ以外のキハ40、47は磐越西線、羽越本線と共用のようだ。本年3月の北陸新幹線開業関連のダイヤ改正で在来型には大きな変化(特急北越廃止に関連する485系の削減)があったがさらに輪をかけてE129系の増備による115系置き換えと並ぶ出来事である。

2015年12月20日日曜日

E129系運用拡大

 E129系の4連 弥彦線241M  冬の斜光を側面に受けて東三条に到着。弥彦線から
 115系4連L編成運用消滅。
 東三条の弥彦線の乗り場 
 信越本線 445M 村上行き 11月下旬まで115系4連の運用であった。
E129系同士が出会うことも珍しいことではなくなった。2016年3月のダイヤ改正では上越線と信越本線の長岡以西の一部にワンマン運転が始まる。


EF510-23 牽引 3097レ EF510-502牽引 3098レ 列車通過後は夜のとばりが・・・

2015年12月13日日曜日

EF510-515 回送

 EH200-17牽引のEF510-515回送(配給) 高崎~東新潟機関区の区間の運転 
最終目的地は富山機関区。
北斗星色EF510-515〔田〕 寝台特急「北斗星」の廃止によって貨物に売却。
特急牽引電機としては短い期間だったかもしれない。かつての栄光を捨てて地味な貨物運用で再スタートとなる。走る先は波浪の日本海縦貫貨物。

12月27日にEH200-901牽引でEF510-12と513も富山機関区に向けて回送されている。
  

2015年12月6日日曜日

新潟車両センター115系0番台営業運転終了

 115系L5 2015年10月24日  信越本線  先頭はクハ115-2129
 115系L6 2015年9月27日  信越本線  クハ115-1503他 2011年に湘南色に復元
114系L4 2015年7月7日 弥彦線 先頭はクハ115-1502 クハ115-613が右手に。トイレ窓に注意。

115系0番台は1984年の越後線と弥彦線の電化に際して各所(沼津、岡山、広島など)より転入して31年にわたって活躍してきたがE129系の大量増備により営業運転の座を追われて廃車解体となった。これらはJR移行後は165系急行型を関東方面から転入の115系4連とともに置き換え、信越本線は直江津、上越線は越後中里までの運用もあった。また新潟近郊では3連のN編成と組んだ7連もあった。(現在まだ存在しているが間もなく消滅するものと思われる)

2015年11月15日日曜日

紅葉あれこれ

 2015年11月8日 長岡車両センターのいちょう  D51404の動輪と。 かつては蒸気機関車配置の第一機関区と電気機関車配置(のちに電車も)第二機関区があった。時代とともに車両も移り変わり蒸気機関車はディーゼルに(のちに長岡機関区として独立ののちまた統合)、電気機関車はEF15、EF16、EF58からEF64、EF81へ。70系電車は115系電車に変わったそしてほかの区の車両も集い賑わっていたが近年はEF510、EH200、E129系の新世代が台頭している。時代の変化を静かに見守ってきたいちょうの木。
 信越本線来迎寺駅ちかくのもみじ園から信越本線と越後交通の廃線跡。越後交通は1995年の春貨物輸送をすべて廃止して鉄道路線も廃線になった。
もみじ園の楓。

越後曾根駅停車中の115系N33編成

2015年11月13日 越後線越後曾根駅 長野色115系N33編成。 

新潟交通電車線 新飯田駅跡

2015年11月1日 1993年7月末で廃止された新潟交通電車線の新飯田駅の跡地。この駅は交換駅で燕方向からの電車と白根方向からの電車の交換があった。画像は燕方向。あずまやが見えるあたりが燕方向の線路跡である。道路左手は中ノ口川の堤防で水田地帯から離れて堤防沿いを走っていった。

2015年11月4日水曜日

381系引退

2015年10月30日 JR西日本の「くろしお」「こうのとり」系統の381系が683系2000番台の交流機器を停止した289系に置き換えられ引退した。
画像は2011年5月4日 東海道本線にて。

2015年10月25日日曜日

EH200-14+EH500-49 配8788レ

 本日運転の配8788レ 昨日東新潟にて一泊したEH500-49が大宮に向けて送り込まれるところ。
巨人機同士の連結は迫力がある。

このひEH200‐8+EH500-50が下っていく場面にも遭遇。同じ日に2本回送された。

大阪方面から埼玉だと東海道本線と武蔵野線経由が時間がかからないと思うがEH500の回送は日本海縦貫と上越線経由となっている。

越後線小島谷駅界隈~長岡市和島地域 

 越後線小島谷駅前  駅は小型カプセル風であるが駅前商店は風格のある建物。かつて賑わいがあったころを思わせる。近くには銀行などある。


 越後線の父 久須美秀三郎の像  越後線の前身越後鉄道は明治44年3月設立、大正2年に当時本社のあった新潟市の白山から柏崎まで全通。今の越後線が出来上がった。白山駅は現在の位置とは異なるが。(*信越本線の前身 北越鉄道開業にも尽力した)
 小島谷駅柏崎方向 手前の線路は保守用の機械がはいる場所と思われるがかつては貨車が入ってコメなどが運びだされた。貨物扱いは昭和46年(1971年)10月に廃止された。
 越後線は1984年4月8日電化。 細いH型鉄柱と直接吊架線がつかわれていかにも閑散路線を電化した風情だったが2007年の中越沖地震で倒れたものは太い架線柱に変わっている。
 旧久須美家である住運園。久須美秀三郎そして久須美東馬の生家で外観のみ公開
 住運園の解説が書かれた石碑。住運園は現在は長岡市の所有となっている。
 江戸時代(享保2年)に作られた庭園。  樹木の奥には弥彦山を望むことができる。
 小島谷駅付近の115系2連 吉田発柏崎行き 架線柱は太いコンクリート。

柏崎発東三条行き この列車は午後の弥彦線の運用に入る。貴重な初期型を含む編成で間もなく使命を終えると思われる。越後線の電化からの活躍で31年走り続けた。

2015年10月24日土曜日

EF510-507+EH500-49 3097レ

 115系L5編成445M 初期型115系もあと2編成に。新潟色編成はこの編成だけになった。
 キハ472連 臨時列車。 只見線からの帰りか?
 EF510-507牽引3097レ  EH500-49〔門〕が連結されていた。
関門海峡から越後に。いったん東新潟機関区に入った後大宮車両所に入場して
検査を受ける。

寒冷前線通過に伴う強風が吹き荒れこれをもって撮影を終了。
EH200牽引2084レは撮影をしなかったがコンテナがすべて乗っていた。

2015年10月21日水曜日

只見線 縁結び列車

10月3日 只見線で 冷房が取り付けられたキハ48型2連 ラッピング塗装はキハ48545である。
小牛田運輸区より転入した。いままでの冷房のないキハ48は休車になっている。
只見縁結びの表記がある。小出のこい+会津のあい ということである。
現在2011年7月に起きた大規模な災害で只見線は只見~会津川口間不通となっている。

2015年10月14日水曜日

EF81 141  旧型客車 回送

10月13日 秋田~高崎間運転 9840レ EF81141牽引 「レトロこまち」に用いられた旧型客車編成の回送 EF81141〔長岡〕の後部はオハニ3611で最後部スハフ32 2357(全て高崎車両センター)となっている。

2015年8月30日日曜日

戦禍の幻 蒲鉄のSL運行

8月15日の新潟日報朝刊の「窓」欄に興味深い投書が。(DE1の画像は関係はありません)
1945年(昭和20年)6月中旬当時15歳で東加茂の木工所で軍事関連の業務に従事されていた加茂市の男性の投書からの要約。五泉方面から国鉄のC12型蒸気機関車が電車1両と無蓋貨車1両を牽いて東加茂駅にやってきたという記述が。この男性は鉄道に関心のある方で東加茂駅の駅員さんに問うと「国鉄」の路線が(当時は鉄道省)爆撃を受けて破壊された際蒲原鉄道を輸送に使うための試運転がされたようだ(詳細は新潟日報の投書をご覧ください)
しかし曲線が多く実現に至らなかったとの事。

このころは各地で空襲が行われていて敗色が濃厚な時期であった。
8月1日には長岡の空襲が8月6日には広島そして9日には長崎に原爆が投下15日敗戦を迎えた。

NHKでも戦後70年の特集が組まれて広島電鉄の原爆投下で壊滅的状況の中数日後電車運転を開始し常務に従事した当時10代の女性たちの活躍を取り上げたドラマが放送。
平和な日常の有難さ・・・・・・そしてこの残酷な時代を生きた方々が存命されていることに感動を覚えた。

E129系内部とEF81723貨物など

8月29日 東三条を通過するEF81723〔富山〕牽引の3093レ 右手線路は弥彦線。

EF81723と弥彦線のE129系 弥彦線もE127系とE129系の双方がワンマン運用を務める。
なお、ダイヤ改正で115系Y編成はすべて廃車となって長野車両センターに送られた。
E129系 弥彦線に新車導入は1980年のキハ47以来。キハ30系の運用が主体の弥彦線でも朝の2往復はキハ47が運用されていた。
 新車の匂い漂う車内。セミクロス構造。
 クロスシート部分。115系1000番台より座席間隔はある。 スムーズな乗降のためだとか。
 ロングシート部分。 座り心地はE233系のような感じ。
 座席と車窓のマンションを入れて・・・・
新潟方面列車と長岡方面列車の接続を受けて列車は走り出す。12時8分発弥彦行き。
E653系「しらゆき」3号 上越妙高で北陸新幹線「はくたか」を接続して長岡、新潟を連絡する単距離特急。この時間乗車率は「まずまず」だった。ただ北陸新幹線と在来線の乗り継ぎは年配の方には辛いものがある。新潟日報に投書あり。
奥羽本線全線開通110周年。運んできたのは人だけではない。思い出や夢を乗せて110年。

素敵なポスターが。485系特急「つばさ」はリバイバル運転の485系T18編成。先ごろ先頭のクハ481-1508が新潟市秋葉区の新津鉄道資料館に静態保存された。
D51の姿も味わいがある・・・・

奥羽本線も山形新幹線や秋田新幹線の開業により分断されたが地域輸送に活路を見出している。信越本線も私鉄の「北越鉄道」の区間がJR線として残存して地域輸送主体と変化した。
幹線時代も遠い記憶になってゆく・・・・

午後はNHKの先ごろ世界遺産登録の長崎県の「軍艦島」の特集そして50年前のアニメ?「サンダーバード・・・海上ステーションの危機」そしてブラタモリの「軽井沢」を楽しんだ。


2015年8月23日日曜日

EH500-50大宮配給 8788レ

 本日の配給8788レ EH200-5牽引の門司機関区EH500-50
巨大機関車の組み合わせ。前の日の3097レで東新潟機関区に回送され一晩過ごした後
JR貨物大宮車両所に検査のため入場。
水田の稲も色づいて刈り取られるのを待っていた。

2015年7月5日日曜日

弥彦線E129系

7月5日 弥彦線271M  本年3月のダイヤ改正では115系Y編成が引退。代わってE127系が後を引き継いだがE127系のうちV12編成が6月7日のフォークリフトとの衝突事故で離脱。V13編成も検査に入ったようで最新型のE129系が2編成ワンマン運用をこなしていた。 

115系湘南色+長野色

 7月5日 越後線吉田駅にて 115系N2+N35の編成  
115系N35編成とE129系  

湘南色と長野色の組み合わせは時折見られる。