2017年7月26日水曜日

すがすがしい朝




1993年6月 信越本線にて。 EF81牽引の20系寝台車の編成。 かつての寝台特急「日本海」を思わせる編成だった。

2017年7月25日火曜日

魚沼鉄道小千谷停車場跡の石碑

2017年5月20日 小千谷市の旭橋ちかく。魚沼鉄道小千谷停車場跡の石碑。
ここは西小千谷駅とは異なり戦後は復活しなかった。
魚沼鉄道の線路はほとんどが戦後復活した国鉄魚沼線と重なり合うが、来迎寺から南下するルートが魚沼鉄道は柏崎方向に出てから戦後のルートに合流する。戦後は来迎寺の0番ホームで長岡よりにありカーブを描いて西小千谷に向かった。 平沢で信濃川の方向に進路を取り旭橋たもとの小千谷駅に着く。
小千谷市の城内3丁目のぽっぽの里公園の石碑に描かれた魚沼鉄道の写真。762㎜の軽便鉄道である。客車の何両化は頸城鉄道に移った。いまのこるハ6はもとは魚沼鉄道のものである。

2017年7月24日月曜日

大阪 桜島線101系

1985年1月1日 桜島線101系  いまはUSJで賑わっているが当時は殺風景な場所だった。
101系も終焉間近なころ。

2017年7月23日日曜日

寝台特急「日本海」新津で足止め

2004年7月  この年新潟福島豪雨で大きな被害が発生したが、梅雨末期はたびたび大雨に見舞われていた。豪雨で動けなくなった寝台特急「日本海」が新津駅の中線に停車。乗客の姿が見当たらなかったので新幹線などに振り替え輸送されたのかもしれない。115系の普通列車も新潟~東三条間の運転であった。

2017年7月21日金曜日

ぽっぽの里公園

2017年5月24日  小千谷市の旧国鉄西小千谷駅跡  現在は公園となっている。
ぽっぽの里公園  石碑の写真のC11牽引の客車列車は戦後の復活した際に走った記念列車。
1等車2両と荷物車合造車の3両編成。魚沼線の蒸気機関車時代は2年程度で気動車に代わった。それ以降は貨物も気動車が牽引していた。

撮影は故瀬古龍雄氏  

魚沼線は 1911年9月14日 魚沼鉄道として開業。 762㎜
当初は来迎寺~小千谷(西小千谷)の区間しかなかったため魚沼地方と長岡地方を結ぶ動脈だったが上越北線開業で利用者が激減した。
そのまま(762㎜)1922年6月15日買収国有化。
1944年10月16日 全線休止

1954年8月1日     1067㎜に改軌 営業再開・(しかし客足は伸びず低迷)
1974年10月1日  貨物営業廃止
1981年8月18日  第1次廃止対象路線承認
1984年4月1日   路線 廃止。

2017年7月20日木曜日

越後広田の複線五千粁の石碑

2017年5月20日 信越本線越後広田駅にある複線五千粁の石碑。1972年(昭和47年)5月26日信濃川工事局長森岩治の銘が。 越後広田~北条の区間が複線化されたことにちなんでの石碑。
鉄道がまだ伸び盛りだったころの遺産である。

信越本線のこの区間は国鉄時代は首都直結の上越線と違ってどことなくのどかだったような気がする。長距離の客車列車が走っていたり、気動車の急行が多数走ったり、特急の本数もあまり多くはなかった。
複線の効果はJRになってから新幹線接続特急「かがやき」が多数増発された時代ではなかったろうか。あのころはひっきりなしに特急の轍の音が響き渡っていた・・・・

2017年7月19日水曜日

米坂線越後下関発車~キハE120型

2017年7月8日 米坂線越後下関駅  坂町行き普通1131D  この付近は水田地帯で比較的平たんな場所である。荒川沿いの渓谷から離れて水田地帯を進む。 

現在米坂線は坂町~小国の区間では6往復の運転となっている。