2017年5月23日火曜日

快晴115系N3

5月7日 吉田駅で待機する115系6連 新潟寄りには115系N3(70系新潟色)が。この日朝の227M~226Mの弥彦線6連運用をこなして越後線に戻ったところであった。

2017年5月21日日曜日

EF65 524 高崎機関区

1999年5月  高崎機関区にて  台車検査中のEF65524  見学会の際の撮影。

2017年5月18日木曜日

頸城鉄道 新黒井駅跡 石碑

5月5日 くびきのお宝残す会の会場百間町を後にして新黒井を目指す。この区間は水田を一気に突っ切って信越本線の黒井の手前に入っていたようだ。途中「北四ツ屋」という停留場があった。
はさ木が立ち並ぶ水田地帯を走り抜ける列車で知られている。

いまは舗装道路と並木道で途中工業団地もあり頸城鉄道の時代とは異になっている。
見つけるのに苦労したという噂の有る石碑はあっさり見つかった。
最近黒井の駅が橋上駅になりその際整備されているようだ。
ちょうど踏切りが鳴ったので線路側に出てみると北越急行HK100型が通過していった。
高速で駆け抜ける姿は社名の「北越急行」にふさわしい。
頸城鉄道では果たせなかった「夢」を引き継いだ北越急行であろう。
ただ特急「はくたか」を失ったことそして沿線は過疎化が進行している、さらに道路の改良で利用者が減少しているなど厳しい状況である。

この近くに橋げたがあったらしいが2013年(平成25年)に撤去されているとの事。

2017年5月17日水曜日

頸城鉄道 百間町駅跡

5月5日 上越市頸城区百間町 左手に頸城鉄道車両基地跡 右手は給油所
1981年昭和56年7月26日 長野県に向かう途中この付近を通っている。
柿崎から新井に抜ける道が工事をして迂回する案内がありそれに従って走ると鉄道の駅舎が見えた。
おそらくそれが百間町の駅舎だったようだ。 急いでいたので撮影などはしないですぐに走り抜けた。
頸城鉄道発祥の地 百間町駅跡の石碑 後ろ建物はかつての本社だったようだ。いまは資料館として特定の日に公開される。
シェル石油の給油所  奥にJAの建物がある。その手前に道があるそこを通っていたのかもしれない。
撮影した場所が百間町の駅である。
頸城バスのバス停 百間町南 ここが頚城村の中心部だったのかもしれない。
高田の行先を出したまま待機する頸城バス


1971年の全線廃止後主流となったバスも現在は利用者の減少で苦境に立たされている。
道路の整備は公共交通のさらなる衰退を招いてしまったようだ・・・・




2017年5月16日火曜日

新緑キハ48

5月6日 磐越西線荻野付近 会津若松行きキハ48の2連  小牛田より転入してきたキハ48である。 冷房ありで2連ユニット運用。先頭はキハ481545(新ニツ) やがて新型に置き換えられて姿を消すであろう国鉄型の気動車。

2017年5月15日月曜日

超快速スノーラビット

5月5日 ほくほく線くびき~犀潟間 越後湯沢からの超快速「スノーラビット」がえちごトキめき鉄道はねうまラインの新井を目指す。この列車は上越新幹線の越後湯沢で接続し直江津であれば北陸新幹線より早くさらに運賃も1000円くらい安くなる。午前は2本が直江津方面に午後は1本が越後湯沢へ運転。車種は特に指定されないが休日は「ゆめぞら」号が使われることが多い。
最高速度は110Km/hであるためはくたか時代ほど早く感じないが越後湯沢と直江津の区間が1時間とくればかなりの俊足であろう。

ET127系鯨波

5月5日 鯨波を行く柏崎6時58分発直江津行き ET127系6連でうち4両はラッピング列車だった。この列車は直江津から新井方面に直通する。